行動と自我~悟りを理屈っぽく考える~④

望む未来を実現するため、 じゃあ、行動をしよう、と。

でも、これやればいいのにな、って思っていても、 なんだか取り組めないことってありますよね。

人間の行動の理由を突き詰めていくと、 快楽の追求 か 苦痛の回避 この2つに行き着くんですが、

実は、苦痛の回避の方が行動の理由として強いんですね、

じゃあその苦痛っていうのは。 何かを失う恐れであることが多いです。

時間、労力、お金、そのどれか。 「なんとなくやらない」 みたいな無意識的なものも、 考えることには労力がかかるんで、 やりたくないってことなんですね。

こういう恐れって、 人間というか、すべての生命の持つ本能で ごくごく自然な当たり前のことなんですね。

マズローの五段階欲求がわかりやすいので引用しますが、 生命の本能は 1自己実現 2尊敬・承認 3愛情・所属 4安心・安全 5生存・生理

まず生存、安全の欲求が満たされないとなにもできないんです。

例えば、何かのコミュニティに所属しようするとき、 日本ならまず生存は確保されていることが多いので、

安全~ここで俺はあってるかな?大丈夫かな?っと確認して、 所属~このコミュニティに入りたい、つながりたい! 承認~ここにいる人たちに認められたい! 自己実現~トップとってやるぞっ! とかになっていくんですが、 そもそも生存、安全欲求が満たされないところには所属すらしていないはずなんですよね。 (たまに上から実現する強者もいるのですが笑)

で、この生命の本能を非現実である「自分の自我」も持ち始めるんです。 自我っていうのは自分と自分以外を分離していく中で作られると言いましたが、 20歳にもなると、もうある程度、自我、個性ってものを確立してしまってるので、 他人の意見を受け入れられない、とか、自分の殼に籠るって事をしだしてしまう。 自分と他人は違うんだって固くなになってしまうんですよね。

これは結構自分達のお父さん、おじいちゃん世代になるとそうだと思います。

スマホは動画も見れて、無料で電話もできるから使いなよ!って言ってるのに、 いや、機械はわからないから、とか、 人の言葉を受け入れず、新しい事ができなくなってしまう。

こういう大人って多いですよね。 自分の経験の中だけで物事を判断する。 新しいことができなくなるから、その先の選択肢に自由度が少なくなってしまう。

なぜそういう風になるのかって言ったら、 自我が、他人の意見を受け入れようとすると、 その意見によって自分が変わってしまうって錯覚を起こすんですね。

で、変わるってことは、 元いた古い自分が変わることによって、 自分が消えてしまうんじゃないかって錯覚を起こします。

消えてしまうっていうのは生存の欲求にダイレクトに響くから、 自我=人は変化することを恐れてしまうんですね。 じゃあどうすれば変われるのか。 それは、 そのことが安全であることを知ればいいんです。

その恐れの対象についてよく知ること。 それをやることによって、自分は時間、労力、お金。 一体、何を失うのか。 それを失った自分は周りから見てどうなのか。 失ったことによって自分はどうなっていくのか。 失うのは行動して得られる快楽と比べてどうなのか。

こんなことを考えていくと、 その恐れの正体を知ることができて、 それは安全を確かめられた既知の事実になって、 恐れが小さくなり、 相対的に快楽の方が大きくなるんで、 行動できるようになるんですね。

それでも、経験しないと恐れは完全に消えないから、 恐れながらも、実際に行動に移してみるんです。

考えているだけでは、非現実の世界に囚われ出れないです。

現実の世界で行動に移すと、その行動が自分の経験になって、 既知の事実になる。 そうやって自分の習慣を入れ替えると現実が変わっていくんですね。

恐れの克服って常にこうなんです^^

コンタクトレンズとかって初めは、 自分の目に何かものを入れるのって怖くて仕方ない、って思っていても、 実際それをやってみると、一週間もすれば慣れて恐れなんてなくなりますよね。

自転車に乗るのも一緒です。

自分の過去の経験を掘り起こせば、最初はできなかったけど、 あとからできるようになったことなんて、いくらでも見つかるはずなんですよね。

自分のネガティブな部分を変えたい、って時もこれです。 現実の行動に移して、潜在意識、セルフイメージを切り替える。

過去できなかったことが、今もできないなんてことは、ないんですよね。

それはたた、正しいやり方を知らなかっただけ。 やれなかった記憶に縛られてるだけ。 やり方を知って、実際にやってみれば、何も怖いことはないんですね。 駄目ならまた正しいやり方を知るだけです。

そして、知れば動き出すのが人間なんです。

個々人の意志が強い、弱いとかじゃなく 快楽と苦痛を 知ってるか、知らないか。

それは頭の中でなくて、 自分で経験として、実感として知っているかどうかなんです。

知識、考え方を増やすのは前にいた世界を捨てることにはならない。

それを忘れないでくださいね^^

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